湯の口温泉 紀州鉱山坑内電車 小口谷(清流荘)−湯の口温泉(1100m)
- 普通鉄道(610mm)
- 開業:’39年??月 板屋−湯の口−惣房(鉱脈)(5.5km)の鉱山鉄道として
- ’41年??月 輸送力増強の為、坑内線を600Vで電化
- ’42年??月 一般人の人車便乗が始められる。人車便乗は閉山まで続けられた
- ’78年05月 紀州鉱山閉山。軌道は排水処理点検用に残される
- ’87年? 観光鉄道として奇跡の復活を果たす
- ○公式ホームページ
- 湯元山荘 湯の口温泉:http://www.ztv.ne.jp/irukaspa/yumotosansou/index.html
- ○アクセス
- 熊野市駅から南紀広域バスで瀞流荘前下車(所要50分、運賃600円)。
- 新宮駅から三重交通バスにて阿田和で乗換、南紀広域バスで40分の瀞流荘前で下車
- 時刻表は公式HPに掲載がありますのでそちらをどうぞ。
- (’11年09年04日追記)
- 公式HP情報、アクセス情報を修正しました。
- 管理は紀和町ふるさと公社によるものになっています。
メモ
- 紀州鉱山はこの紀州鉱山坑内電車の他にも、以下の輸送設備を保有していた。
- ’37年:板屋−小船(4338m)に三和鉱山索道を開業し鉱石の輸送を行う
- 小船は熊野川沿いに位置し、そこで川船に積み替え新宮まで運搬した
- ’39年:板屋−紀勢中線(現在の紀勢本線)阿田和(14.7km)の鉄道免許申請
- 後に取り下げるが代わりに次の貨物索道を開業させる
- ’41年8月:板屋−板地−家助−阿田和(14.7km)に紀州鉱業所索道を開業する
- 索条は3径間だが搬器は14.7kmを直通していた
- これで、板屋から国鉄路線まで直接輸送するルートを確保する
- 同じ年に、この紀州鉱山坑内電車を600Vで電化している
- ’67年8月:索道廃止
- 鉱石輸送をトラックに切り替える
走破記
筆者はこの地に2度も訪れているのにもかかわらず、実は未だに乗車していません。2回目にこの地に訪れた時にはすっかり綺麗に整備され、当初の雰囲気が失われておりがっかりした事だけを覚えています。そんな調子で2回目に来た時には一枚の写真も撮っていませんので、ここでは筆者が衝撃を受けた1回目の取材時の写真をご紹介させて頂きます。
なおこの紀州鉱山坑内電車は保存鉄道である事は勿論ですが、小口谷に位置する清流荘の宿泊客を、原泉である湯の口温泉の温泉場へ輸送する事を目的として必要部分のみ旅客化して営業しているものです。しかし、清流荘に宿泊せずにこの保存鉄道のみを利用する事も勿論可能です。
始発駅の小口谷(清流荘)です。止まっている車両は客車です。とても小さい車両なので立って乗る事は出来ません。写真の駅名標には板屋とありますが、板屋への線路は使用されていません。
小口谷(清流荘)で撮影した、紀州鉱山坑内電車の機関車(バッテリーロコ)です。なお写真の奥が板屋、手前側が小口谷(清流荘)と湯の口温泉になります。
終点の湯の口温泉駅です。小口谷(清流荘)を出た列車はすぐにトンネルに入り約10分トンネルの中を走ります。そしてそのトンネル(写真奥)を抜けた所が湯の口温泉です。写真ではデルタ線になっているのが見えますが、手前の2線は使用されていません。なお、写真手前の左奥には湯の口温泉のバンガローが、写真奥の左奥には湯の口温泉の温泉場があります。
小口谷から湯の口温泉とは逆の方向に行きましょう。2枚目の写真に写っているトンネルを抜ける(勿論実際に抜ける事は出来ません)とすぐのところに位置する板屋です。選鉱所の跡地です。相当に大掛かりな施設で、様々な建物と引込み線の跡が複雑に入り組んでいました。
どうやって使うのか見当もつきませんが、山の斜面を切り崩した壮大な設備(選鉱所)です。写真には写ってませんが、この線のトロッコがそのまま登ってゆけるインクラインもありました。場所はこの山の向こうが小口谷(清流荘)になります。なお、2回目に来たときには板屋の設備は跡形もありませんでした。その後の’95年には、この地に紀和町鉱山資料館がオープンしたようです。
(’87年07月30日取材、未走破)
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