筆者こと&h3f3fが生まれてから一番最初に乗った索道は、思い出して見るにおそらく広島観光開発の宮島ロープウェイではないかと思う。もう20年ぐらい前の事になる。
宮島に松大連絡船で渡り、というか今では信じられない話だが宮島へ渡る人は8割方松大連絡船に乗っていた。その位置関係は今と変わっているわけではないが、当時は国鉄(現JR西日本)の方は本数も極端に少なく開店休業状態であったように思う。筆者などは宮島に国鉄の連絡船がある事を知ったのは、相当後になってからの事である。その国鉄連絡船は、赤字ローカール線廃止問題のさなか国鉄の増収策として増便されて、やっと、すぐとなりの松大連絡船と対抗出来るようになったのである。それでも増便当初は乗客の流れをなかなか変えられず、人気取りの為に厳島神社沖経由などというサービス?(知らずにその便に乗ってしまうと15分位余分に時間がかかるのだが)をやっていたのを思いだした。
話がだいぶ逸れた。それで連絡船で渡ってすぐのところにある宮島ロープウェイの連絡所(これは今でもあるだが)の前から、厳島神社にも行かずいきなり専用の連絡バスに乗って、紅葉谷駅へ行ったのである。しかも、宮島ロープウェイは途中駅で乗り換えがあって随分と非効率なシステムだなあと子供ながらに思ったものだ。それが私が始めて訪れた宮島の思い出だから随分と変わっている。因みに今はその連絡バスの乗り場が厳島神社の近くに変更されている。観光順路を考慮したのであろうか?
時はだいぶ流れて、学生時代には何の因果か全国の鉄道に乗るようになり(実は筆者は最初は全くそうする気はなかったのですが)、既に’94年02月11日にその全てを乗り終わってしまのです。その瞬間については鉄っちゃん卒業旅行の方にまとめてあります。そして、やっとこれからまっとうな観光旅行が出来るなと思ったのも束の間、日本全国どこに行っても勝手知ったる土地になってしまった、つまらなさを感じるようになったのです。
結局、その先の日本へをテーマに日本中を歩き回わり、ついにひとつの結論に達したのです。それは、スーパーマリオではないが「そうだ、冒険だ!」なのです。そう思ってからというもの、鋼索鉄道、バス専用道路(未完だが)と乗り歩き、現在は普通索道と特殊索道へ暇を見つけては乗り歩くようになっている。日本中を次のテーマを求めて歩き回っていた時に乗った別府ロープウェイと、残念ながら乗れず見ただけだったがラクテンチの屈曲式特殊索道の印象があまりに強烈だったというせいもあるのでしょう。でも、まだ筆者は日本全国の普通索道を全部乗ろうと決めた訳ではありません。ひょっとしたら馬鹿らしくなって途中で止めてしまうかもしれません。
きっとその方が、まっとうな人生を歩めるでしょう(謎)。
そして’09年05月31日晴遊閣大和屋ホテルにて普通索道の完乗を果たしました。だんだんと索道の世界がおもしろくなってきたところです。まだまだいくよ〜